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「私はいつもあなたがたとともにいる。」 苦しいときも弱いときも…(I Am With You Always - Japanese)

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Translated by Masazumi Fujiwara (English).

神様はすべてに力強く、全てを知っておられます。でも、あなたは最近、神様と世界の関係を考えたことはあるでしょうか?外の世界とではなく、本質的に、神様と世界中のいたる所との関係をです。あなたが礼拝する神様は遍在、つまりどこにでも存在しておられる方です。エレミヤはそれをうまく表現しています。「人が隠れた所に身を隠したら、わたしは彼を見ることができないのか。――主の御告げ。――天にも地にも、わたしは満ちているではないか。」エレミヤ23:24

つまり、私たちがどこにいようとも、そこに神はおられるということなのです。そう、神様はあなたの近くにおられるのです。そして、もしあなたがキリスト者なら、特別に、神様の全存在があなたとともにあり、あなたは神様の特別な配慮の中にあるのです。しかし、彼は私とともにおられ、同時に、この世界の兄弟姉妹それぞれとも共にもおられるのです。このように、神様の無限の知識とその存在のあり方は深く関連しているのです。詩篇の作者はこのことを知っており、その神様の素晴らしい御性質に驚きを隠しませんでした。

詩篇139篇1-4節で、詩篇の作者は自分自身について神様が全てをご存知であることを歌っています。

139:1 主よ。あなたは私を探り、私を知っておられます。139:2 あなたこそは私のすわるのも、立つのも知っておられ、私の思いを遠くから読み取られます。139:3 あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、私の道をことごとく知っておられます。139:4 ことばが私の舌にのぼる前に、なんと主よ、あなたはそれをことごとく知っておられます。139:5 あなたは前からうしろから私を取り囲み、御手を私の上に置かれました。139:6 そのような知識は私にとってあまりにも不思議、あまりにも高くて、及びもつきません。

そして、詩篇の作者は神様が私達と共におられることと神様が持っておられる私達への深い知識を関連させています:

139:7 私はあなたの御霊から離れて、どこへ行けましょう。私はあなたの御前を離れて、どこへのがれましょう。139:8 たとい、私が天に上っても、そこにあなたはおられ、私がよみに床を設けても、そこにあなたはおられます。139:9 私が暁の翼をかって、海の果てに住んでも、139:10 そこでも、あなたの御手が私を導き、あなたの右の手が私を捕えます。139:11 たとい私が「おお、やみよ。私をおおえ。私の回りの光よ。夜となれ。」と言っても、139:12 あなたにとっては、やみも暗くなく夜は昼のように明るいのです。暗やみも光も同じことです。

そして、彼は神の知識とその存在を創造の御業とつなげています。私たちを創造されて、私たちの歩む道をお決めになった方こそ、神様なのです。(使徒17:14-28参照):

139:13 それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。139:14 私は感謝します。あなたは私に、奇しいことをなさって恐ろしいほどです。私のたましいは、それをよく知っています。139:15 私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。139:16 あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに(エレミヤ1:5参照)。

そして、神の無限の知識と存在・その力を見たとき、彼は自分自身の限界と被造性を強く感じたのです。しかし、それは当然のことなのです。

139:17 神よ。あなたの御思いを知るのはなんとむずかしいことでしょう。その総計は、なんと多いことでしょう。139:18 それを数えようとしても、それは砂よりも数多いのです。私が目ざめるとき、私はなおも、あなたとともにいます。

そして、結論として彼が述べたことは、私たちは神の御国がこの世でも、私たちの生活の中ででも築かれることを願い求めることであるということでした!

139:19 神よ。どうか悪者を殺してください。血を流す者どもよ。私から離れて行け。139:20 彼らはあなたに悪口を言い、あなたの敵は、みだりに御名を口にします。139:21 主よ。私は、あなたを憎む者たちを憎まないでしょうか。私は、あなたに立ち向かう者を忌みきらわないでしょうか。139:22 私は憎しみの限りを尽くして彼らを憎みます。彼らは私の敵となりました。139:23 神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。139:24 私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。

そのことを一緒に考えて見ましょう。神様がどこにでもおられるということは、私たちが世界中に弟子をつくりに宣教に行く中で、イエス様は私たちといつも共におられるということなのです。イエス様は、弟子たちが全ての権威を与えられており、そして神への信仰と神への従順を伝える福音を分かち合うために、地の全てを行くように、彼らに言われました。そして、そのあとに「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」と述べられたのです(マタイ28:19-20;創世記28:15も参照)。

神様がどこにでもおられるということは次のことも意味しています。人々が互いの関係に問題を抱えた時、その様な時こそキリストのもとに来たるべき時ですが、そこでキリスト者は、そこにイエス様が共におられるということを互いに十分理解したうえで、それらの問題を解決するということができるのです。マタイ18章20節でイエスは言われました。「ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」それは、「教会の規律について」という文脈の中で、罪を犯している兄弟や姉妹を立ち返らせるために述べられたものです。そして、この真理はイエスはキリスト者と共におられるということであり、それが一人であろうと、百人であろうと変わらないということです。私たちがキリストの弟子とされていく中でどのような困難に直面しようと、イエスはいつも共にいてくださるということを彼は私たちに知ってほしいのです。私たちが直面する様々な状況…罪を犯した兄弟に対処するとき、配偶者ともめるとき、誤った若者を問い詰めるとき、従業員を解雇するとき、子供の、仕事上の困難に直面するとき、腹を立てた顧客と対処するとき…、その時、私たちは彼の存在を感じ、思うことができるのです。

そのため、神様がどこにでもおられるということは素晴らしい知らせなのです。なぜなら、「神様が私たちにするように召されるどんなことにも、また、私たちの人生の中で神様が許されるどんな出来事にも、神様はそこに共におられる」という保証だからです。神様は決して私たちを見捨てたり、放っておかれることはありません。

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